2007年05月14日
サタワル島
サバニの事 旅の話 日記等 友人とユンタクのつもりで勝手に書いていきます。 見る人が多ければ頑張って書くでしょうが、少ないと怠けるのでちょくちょく覗いてくれるやりがいがあるのでよろしくです。
冒険手帳 のブログ名について
・ 小学から中学にかけて冒険という名の本を見ると宝物にでもあり付いたかのように
読みあさっていた。 当時青森県の田舎には情報を手に入れられるものも限られていた。 そんな中冒険手帳という本に出くわした。 この本には火のお越し方やロープの結び方に始まり日本に生息
する獣の足跡やその伝統的な捕獲方法まで解説されていた。
私はこの本を野山を駆け回るためのバイブルとしてどこに行くにも携え、そして実践していた。
そのため本はボロボロとなり何度もテープで補強しながら大事に大事にしていた。
仕掛けを造る絵がまた何とも魅力的で、ただ見ているだけでも幸せだった。
何毎にも直ぐに無くしてしまう、だらしのない私がこのバイブル本だけは肌身離さずいつも持ち歩いていた。 冒険手帳 今では、残念ながら私の手元にはないが、この名を聞くたびに山々を駆け巡りイタチや野ウサギ リスやムササビ キジやトビを夢中になって捕まえていた頃を想い出す。
(今思えば残酷な事をしていたと思うが、)階上岳の山を越え朽ちた炭焼き小屋の横に大きな欅の木があった。ここに来た証としてナイフで一本の傷を付けていた。二桁になろうかという頃、
いつの間にか遠のいている。 今も環境やフィールドは変わっても、たいして変わらない事をしているような気がする。 冒険手帳 幾つになっても心を擽る、もしかしたら原点なのかも知れない。
・ サタワルの話
・ ヤップの話
・ サバニ旅の話
・ ウンチの話
・ サバニの話
・ 海想の話
・ 危険が一杯
・ 小笠原 母島の話
・ 八丈島の話
・ 神津島の話
サタワルの話
今 ハワイから日本に向けてホクレア号が航海している。
初めの話は、それにちなんでサタワル島の話しを、、 といっても実は、ほとんど記憶に残っていないと言ってもいいのですが、、、 ホクレア号がハワイから第一の目標に定めたサタワルは
ナイノア船長に航海術を教えたミクロネシアでは唯一航海術が残っている島で感謝を込めて、
この船をプレゼントする事だったようだ。 (偉いなー)
1975年 チェチェメニ号がサタワルから沖縄に向けて航海した話を私は最近になって知った。
その時から、どこかで聞いた事がある島だなーと思っていたら実は私は今から18年前の
1989年2月にこの島にたまたま行っていた。 当時の日記が残っていてそれを見ると確かに
SATAWAL とあった。 当時の話を記憶のままに書いてみよう。
1988年の冬ダイビングの助っ人にパラオに向かった。 当時私は沖縄でダイビングインストラクターをしていた。冬は暇なのでパラオでダイビングショップを経営する知り合いからチケットと宿は準備する条件で2週間だけ手伝っていた。 それが終わると周辺の島々へ、ふらふらと出かけていたのだ。 グアム サイパン マジェロ コスラエ トラック ポナペ など等 中でも当時のヤップ島は
まだまだ開発がされていない魅力的な島だった。
ホテルを経営するタマグさんと仲良くなって、いつの間にかタマグさんの家に住むようになっていた。 よくタマグさんとホテルの出し物に使うため夜の海をカヌーで漕ぎ出し網を刺して抱えきれないほどの魚を取っていた。 網を刺し汐待ちをして魚がかかるまで舟の上で数時間待つ間
私はよく素もぐりに講じた。 時には刺し網より採ることもあり漁に行く時は必ず私を誘うようになった。何度か付いた魚をめぐってサメと取り合いになった事もあった。
私を連れて行く事によって漁は倍になり、私は私で何より楽しいひと時であった。
海から見る島影は人工物は何一つなく微かな明かりさえもない。
月夜の晩は持って行った懐中電灯を使う必要がないほど明るかった。
遠くのリーフまで行ってあまり遅くなると高床式の椰子の葉で葺いた浜小屋で朝を待つこともあった。
数ヶ月そんな生活をしている時に何とも魅力的な話を聞く事ができた。
ここヤップ島から貨物船が出ていて周辺の島々へ航海に出るというのだ。
定期航路のような立派なものではなく主な目的はココナッツの実を乾燥させた物を回収するためなのだそうだ。それに僅かの料金を払えば誰でも乗せてくれるとの事、周辺の島々の住人にとっては、
この船がココナッツの出荷によって島唯一の現金収入なのかも知れないし、
島と外と繋がる唯一のものかも知れない。甲板の上だが寝泊りは出来るし米と水を持参すれば自販も問題ないという 各島々には1時間しか滞在しないところもあれば半日もしくは1日滞在する事も、
約2週間で帰って来るようだ。 が時には3週間を過ぎる事もあるという。
なかなか魅力的な話ではないか! てな訳でその貨物船に乗る事にした。
クレーンが船尾についている、その小さな貨物船は住居としての機能は、ほとんどなく当然甲板に
雑魚寝の状態になるミクロネシアとはいえ夜の海を走る舟の上は寒く皆シーツに包まって震えながら朝を待つといった具合だ。
当然シャワーを浴びる贅沢など、できるはずもなく2日目にしてノミなのかシラミなのか体中痒く
なった、隣では、お互いのノミらしきものを取り合っているところを見ると私の体のかゆみは、
このせいなのかと容易に想像が出来た。不思議な事に時が来ると慣れるものだ。
目的の島が見えると小さなFRP船をクレーンで降ろし皆乗り込んで島に渡る。
乗組員は慌しく島中からココナッツを集める。島々の様子をただ見たいだけの私などは乗り遅れないよう乗り組み員の様子を細心の注意を払いつつ探検する。
この舟が次に出る時間は誰も分からない、だから小船が貨物船に向かう時にまた来るのか尋ね、
これで終わりだと分かると乗り込む 島では久しぶりの、お客に海亀を焼いたご馳走で出迎えてくれる。中には真っ黒く焦げているにも関わらず、まだ生きている亀もいる。
片手にタロイモ 片手に亀の肉 椰子の葉で拭いた家では亀の卵もご馳走してくれる。
亀の肉も癖がなく美味しいが感動的に美味しかったのは魚の燻製だった。
何の味付けもしていなかったと思うが魚に付いている塩加減がちょうど良かった。
ここの食事は 「自分のもの」 という概念がないような気がする。
めいめい食べているところに勝手に入っていって勝手に食べる。そこに食べるものが無くなって
それでも、まだ食べたいと思うと適当に食べているところを探し、空いている所にピョコンと座り
鍋に手を伸ばす。その行動を誰も、とがめるものもいないし振り向きもしない、
乗り込む前に米に水 ハンゴーにバーナーを持ち込んだが使ったのは初日と2日目ぐらいだったろうか?何も準備していない他の人達(地元に向かう住民たち)がむしろ珍しそうに私の炊事の
様子を見ていた。だが、そんな決まりなど無いに等しいような所でも私達が意外と思えるような
厳しい面もあった。私達が亀の肉を夢中で食べている時、子供が食べていない事に気ずいて
何故なんだろう? お腹がいっぱいなのだろうかと思っていたら、大人達が食べるまで待っていて
残った亀の甲羅を海水に付けてムシャぶりついていた。 ここは大人が偉いのだ。
何度か若者がおじいさんに怒鳴られているのを見た事がある。怒鳴られた若者はシャキとして
緊張していた。こうでなくちゃ そんな思いにさせられた。
船は幾つかの島を巡りヤップから一番遠いところに SATAWAL はあった。 後で調べたら、そこはヤップからはだいぶ離れていてトラック諸島の方が近かった。当時の日記に立ち寄った島の名前を書いていた。それによると
Yap ulithi fais sorol eauripik woleai ifelik fachalap elato lamotrek
SATAWAl lamotrek elato fachalap ifelik woleai eauipik sorol fais ulithi ngulu yap
と航海している。 当時どこかの島でおそらく、この外洋航海用の船を私は見ていたのだろう。
ひときわ大きな小屋に、どこの島でも見なかった大きな船があった。
それがチェチェメニ号のような外洋航海カヌーで、こんな小さな島にどうしてこんな船があるんだろうと思った事を覚えている。きっとそこが今思えばサタワルだったのだろう。この船の感想はそれだけだ。この船がそんな貴重な船とも知らずに・・・ 疲れたから今日の話はこれでおしまい。
また いつかヤップ島での生活も書きます。
モリ
冒険手帳 のブログ名について
・ 小学から中学にかけて冒険という名の本を見ると宝物にでもあり付いたかのように
読みあさっていた。 当時青森県の田舎には情報を手に入れられるものも限られていた。 そんな中冒険手帳という本に出くわした。 この本には火のお越し方やロープの結び方に始まり日本に生息
する獣の足跡やその伝統的な捕獲方法まで解説されていた。
私はこの本を野山を駆け回るためのバイブルとしてどこに行くにも携え、そして実践していた。
そのため本はボロボロとなり何度もテープで補強しながら大事に大事にしていた。
仕掛けを造る絵がまた何とも魅力的で、ただ見ているだけでも幸せだった。
何毎にも直ぐに無くしてしまう、だらしのない私がこのバイブル本だけは肌身離さずいつも持ち歩いていた。 冒険手帳 今では、残念ながら私の手元にはないが、この名を聞くたびに山々を駆け巡りイタチや野ウサギ リスやムササビ キジやトビを夢中になって捕まえていた頃を想い出す。
(今思えば残酷な事をしていたと思うが、)階上岳の山を越え朽ちた炭焼き小屋の横に大きな欅の木があった。ここに来た証としてナイフで一本の傷を付けていた。二桁になろうかという頃、
いつの間にか遠のいている。 今も環境やフィールドは変わっても、たいして変わらない事をしているような気がする。 冒険手帳 幾つになっても心を擽る、もしかしたら原点なのかも知れない。
・ サタワルの話
・ ヤップの話
・ サバニ旅の話
・ ウンチの話
・ サバニの話
・ 海想の話
・ 危険が一杯
・ 小笠原 母島の話
・ 八丈島の話
・ 神津島の話
サタワルの話
今 ハワイから日本に向けてホクレア号が航海している。
初めの話は、それにちなんでサタワル島の話しを、、 といっても実は、ほとんど記憶に残っていないと言ってもいいのですが、、、 ホクレア号がハワイから第一の目標に定めたサタワルは
ナイノア船長に航海術を教えたミクロネシアでは唯一航海術が残っている島で感謝を込めて、
この船をプレゼントする事だったようだ。 (偉いなー)
1975年 チェチェメニ号がサタワルから沖縄に向けて航海した話を私は最近になって知った。
その時から、どこかで聞いた事がある島だなーと思っていたら実は私は今から18年前の
1989年2月にこの島にたまたま行っていた。 当時の日記が残っていてそれを見ると確かに
SATAWAL とあった。 当時の話を記憶のままに書いてみよう。
1988年の冬ダイビングの助っ人にパラオに向かった。 当時私は沖縄でダイビングインストラクターをしていた。冬は暇なのでパラオでダイビングショップを経営する知り合いからチケットと宿は準備する条件で2週間だけ手伝っていた。 それが終わると周辺の島々へ、ふらふらと出かけていたのだ。 グアム サイパン マジェロ コスラエ トラック ポナペ など等 中でも当時のヤップ島は
まだまだ開発がされていない魅力的な島だった。
ホテルを経営するタマグさんと仲良くなって、いつの間にかタマグさんの家に住むようになっていた。 よくタマグさんとホテルの出し物に使うため夜の海をカヌーで漕ぎ出し網を刺して抱えきれないほどの魚を取っていた。 網を刺し汐待ちをして魚がかかるまで舟の上で数時間待つ間
私はよく素もぐりに講じた。 時には刺し網より採ることもあり漁に行く時は必ず私を誘うようになった。何度か付いた魚をめぐってサメと取り合いになった事もあった。
私を連れて行く事によって漁は倍になり、私は私で何より楽しいひと時であった。
海から見る島影は人工物は何一つなく微かな明かりさえもない。
月夜の晩は持って行った懐中電灯を使う必要がないほど明るかった。
遠くのリーフまで行ってあまり遅くなると高床式の椰子の葉で葺いた浜小屋で朝を待つこともあった。
数ヶ月そんな生活をしている時に何とも魅力的な話を聞く事ができた。
ここヤップ島から貨物船が出ていて周辺の島々へ航海に出るというのだ。
定期航路のような立派なものではなく主な目的はココナッツの実を乾燥させた物を回収するためなのだそうだ。それに僅かの料金を払えば誰でも乗せてくれるとの事、周辺の島々の住人にとっては、
この船がココナッツの出荷によって島唯一の現金収入なのかも知れないし、
島と外と繋がる唯一のものかも知れない。甲板の上だが寝泊りは出来るし米と水を持参すれば自販も問題ないという 各島々には1時間しか滞在しないところもあれば半日もしくは1日滞在する事も、
約2週間で帰って来るようだ。 が時には3週間を過ぎる事もあるという。
なかなか魅力的な話ではないか! てな訳でその貨物船に乗る事にした。
クレーンが船尾についている、その小さな貨物船は住居としての機能は、ほとんどなく当然甲板に
雑魚寝の状態になるミクロネシアとはいえ夜の海を走る舟の上は寒く皆シーツに包まって震えながら朝を待つといった具合だ。
当然シャワーを浴びる贅沢など、できるはずもなく2日目にしてノミなのかシラミなのか体中痒く
なった、隣では、お互いのノミらしきものを取り合っているところを見ると私の体のかゆみは、
このせいなのかと容易に想像が出来た。不思議な事に時が来ると慣れるものだ。
目的の島が見えると小さなFRP船をクレーンで降ろし皆乗り込んで島に渡る。
乗組員は慌しく島中からココナッツを集める。島々の様子をただ見たいだけの私などは乗り遅れないよう乗り組み員の様子を細心の注意を払いつつ探検する。
この舟が次に出る時間は誰も分からない、だから小船が貨物船に向かう時にまた来るのか尋ね、
これで終わりだと分かると乗り込む 島では久しぶりの、お客に海亀を焼いたご馳走で出迎えてくれる。中には真っ黒く焦げているにも関わらず、まだ生きている亀もいる。
片手にタロイモ 片手に亀の肉 椰子の葉で拭いた家では亀の卵もご馳走してくれる。
亀の肉も癖がなく美味しいが感動的に美味しかったのは魚の燻製だった。
何の味付けもしていなかったと思うが魚に付いている塩加減がちょうど良かった。
ここの食事は 「自分のもの」 という概念がないような気がする。
めいめい食べているところに勝手に入っていって勝手に食べる。そこに食べるものが無くなって
それでも、まだ食べたいと思うと適当に食べているところを探し、空いている所にピョコンと座り
鍋に手を伸ばす。その行動を誰も、とがめるものもいないし振り向きもしない、
乗り込む前に米に水 ハンゴーにバーナーを持ち込んだが使ったのは初日と2日目ぐらいだったろうか?何も準備していない他の人達(地元に向かう住民たち)がむしろ珍しそうに私の炊事の
様子を見ていた。だが、そんな決まりなど無いに等しいような所でも私達が意外と思えるような
厳しい面もあった。私達が亀の肉を夢中で食べている時、子供が食べていない事に気ずいて
何故なんだろう? お腹がいっぱいなのだろうかと思っていたら、大人達が食べるまで待っていて
残った亀の甲羅を海水に付けてムシャぶりついていた。 ここは大人が偉いのだ。
何度か若者がおじいさんに怒鳴られているのを見た事がある。怒鳴られた若者はシャキとして
緊張していた。こうでなくちゃ そんな思いにさせられた。
船は幾つかの島を巡りヤップから一番遠いところに SATAWAL はあった。 後で調べたら、そこはヤップからはだいぶ離れていてトラック諸島の方が近かった。当時の日記に立ち寄った島の名前を書いていた。それによると
Yap ulithi fais sorol eauripik woleai ifelik fachalap elato lamotrek
SATAWAl lamotrek elato fachalap ifelik woleai eauipik sorol fais ulithi ngulu yap
と航海している。 当時どこかの島でおそらく、この外洋航海用の船を私は見ていたのだろう。
ひときわ大きな小屋に、どこの島でも見なかった大きな船があった。
それがチェチェメニ号のような外洋航海カヌーで、こんな小さな島にどうしてこんな船があるんだろうと思った事を覚えている。きっとそこが今思えばサタワルだったのだろう。この船の感想はそれだけだ。この船がそんな貴重な船とも知らずに・・・ 疲れたから今日の話はこれでおしまい。
また いつかヤップ島での生活も書きます。
モリ
Posted by モリ at 11:17│Comments(3)
│旅
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こちらの「冒険手帳」というウェブログに、1989年にサタワル島を訪問された時の回想が公開されています。文中に出てくるヤップ島のタマグさんというのは、もしかしたら1986年にヤップ...
サタワル島1989【航海カヌーマニアмания каноэ рейса】at 2007年05月14日 12:33
4半期の月末の上にいろいろなことが重なって、ブログの更新もままならない日々が続いている。きょうもまだ忙しいのだけど、マイスとホクレアがパラオに向けて出航したので、とりあえ...
アリンガノ・マイスとホクレアがパラオにむけて出発【ミクロネシアの小さな島・ヤップより】at 2008年01月13日 22:47
この記事へのコメント
もりさ~ん、長いっす!
読み終えるの結構時間がかかりました…^_^;
伝えたい熱意は感じましたが…
私のお気に入りにも入れておきますので
頑張ってアップしていって下さいね~
また練習参加させて下さい<m(_ _)m>
読み終えるの結構時間がかかりました…^_^;
伝えたい熱意は感じましたが…
私のお気に入りにも入れておきますので
頑張ってアップしていって下さいね~
また練習参加させて下さい<m(_ _)m>
Posted by おっく~ at 2007年05月15日 23:29
再びヤップからお邪魔します。
去年サタワル~ヤップにきた「お騒がせ」ホクレア号の顛末を書いた記事を3本トラックバックさせていただきました。ホクレア/ナイノア信奉者にはブーイングを買ってますが、ミクロネシア人にはミクロネシア人の流儀とプライドがあるわけで、それを察しられないハワイ人は既にアメリカ人でしょう。なお、航海術はサタワルだけに残っているのではありません。まだまだあちこちで健在です。
去年サタワル~ヤップにきた「お騒がせ」ホクレア号の顛末を書いた記事を3本トラックバックさせていただきました。ホクレア/ナイノア信奉者にはブーイングを買ってますが、ミクロネシア人にはミクロネシア人の流儀とプライドがあるわけで、それを察しられないハワイ人は既にアメリカ人でしょう。なお、航海術はサタワルだけに残っているのではありません。まだまだあちこちで健在です。
Posted by suyap at 2008年01月13日 22:58
どうも2本目以降の記事がトラックバックできないようなので、URLを書いておきます。ご参考までに。
アリンガノ・マイスとホクレアがヤップに到着
http://suyap.exblog.jp/5295771/
ヤップのホクレア号
http://suyap.exblog.jp/5422748/
アリンガノ・マイスとホクレアがヤップに到着
http://suyap.exblog.jp/5295771/
ヤップのホクレア号
http://suyap.exblog.jp/5422748/
Posted by suyap at 2008年01月13日 23:05