2008年02月08日

父の死

父は65歳の若さで亡くなった。 公務員だった父は、その人生の殆どを子供のために捧げた人生だった。
朝4時に起き近所に徒歩で豚の餌を集め帰って来たと思えば暗くなるまで山や畑 時には真冬の海で夜中まで働いた。
父の思い出は寝る以外は全て働いている姿しか思い浮かばない。 公務員の家庭とは思えない質素な生活だった。 家族で食事に出かけた記憶は一度としてない。 父の姓は森ではない、一人娘の母の実家の養子となった。が 程なくその家を飛び出した。母は実家を捨て父に着いてきた。 そんな母に父は「お前の実家より手に余る程の財産を築く」と約束した。 
そして細切れではあるが、10を超える土地を手に入れ約束を果たした。 定年を迎えたら小川の流れに岩魚が群れ狐の穴が幾つも開いているお気に入りの山に小さな家を建て大好きな犬と暮らす。 それが私の知る限り父の唯一の自分の為に動いた行動だった。 そんな矢先に脳腫瘍で、あっけなく逝ってしまった。 車を持たない父は50CCのバイクで何度も運んだであろう木材が20年を過ぎた今もその姿を留めている。

父が逝った日 私は病院にいた 母が「今日はイドゲナー」(居てくれよ) という言葉を受け止められず逃げるように病院を後にした。 遅く家に帰ると全ての部屋に明かりが灯り多くの人が出入りしていた。 何が起こったか直ぐに察した。 
通夜の日 父の隣で毛布をかぶり寝たふりをし声を殺して泣きに泣いた。  

そして、その夜 父は私に会いに来てくれた。 穏やかな顔でじっと私を見ていた。 どうするんだよ これから 何で死んだんだよ 心で叫んでいる私に父は何も答えず、微笑んでいるように穏やかに見ているだけだった。 目が覚めても、その記憶がはっきりしている。 父は何も声を発しなかったが、私には聞こえた。 「大丈夫 大丈夫」 と

末っ子だった私は父が帰ると一番にその胸に飛び込み決まっておもちゃが入った小さな箱のお菓子を貰うのが常だった。
ひげで顔を擦られながら私の定位置は父の膝の上だった。 いつも自慢の父だった。  

勉強しろ と言われた事はただの一度も無かった。  1か月の夏休み友人とキャンプに出かけ、明日から学校という日の夜に帰って来た。 明かりが台所を照らし、ちょうど夕食時で、皆食卓を囲んでいた。 さすがに何か言われるだろうと覚悟していたが、飯にかぶりついている私に父は一言「何処に行っていた。」「東北一周」と答えたら ふーん で終わった。

父が初めて買ったであろう山へ家族皆で草刈に行った日の事が私の中では最も輝いた記憶として残っている。
日の強い夏だったろうか?刈った木を無理して背負う私をとことん褒めてくれる。 初めて見るウサギ リス 蛇 カッコウに
ウグイスが山々に響き 緑と木屑の鼻を突くような強烈な匂いの中 母の作った弁当を風呂敷いっぱいに広げた。強い陽射しの中真っ白く記憶まで遠ざかって逝くように輝いていた。

今素直に父に向けて言える。 言い尽くせない程の愛情を持って育ててくれてありがとう。 その事を貴方の孫である
私の子供にしっかりと伝えます。  もう私たちの事は心配しないでゆっくり休んで  と 
 
WEB のBE-PAL に私の大好きな伊東さんと はっちぃ隊長こと蜂須賀 公之さんのブログがある。 父の死について心の内をそのままに載せている。  このブログを見て私も父の事が思い出さずにはいられなくなった。 機会を作ってくれた二人にありがとう です。


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